AI(人工知能)は正しい判断を行うか?
初めに
筆者は、AI(人工知能)に関しては全くの素人です。3、4日前にネットで調べたり、図書館で書籍を漁ったりした程度の素人です。それでも、近年ネットや種々のメディアで報じられるAI(人工知能)の目覚ましい進歩には興味をひかれずにはいられませんでした。AI(人工知能)に関する情報量が増えるにつれてAI(人工知能)の脅威も耳に入ってきました。例えば、「ホモデウス」という書籍はその脅威に対する警鐘を鳴らしているようです。
筆者は早速、図書館に向かいその書籍を借りようとしましたが、残念ながら貸し出し中で借りることのできる可能性は早くとも本記事を書いている3日後くらいとのことだったので、迷わず予約を入れて帰宅しました。
しかし、どうしてもAI(人工知能)のことが頭から離れず、「ホモデウス」を読むための下準備をしようと思い立ちました。何が知りたくてその書籍を読むのか?疑問に思っていることは何なのか?
そこで、この記事などで下準備を行いたいと思います。
主体性
人は、個人であれ社会集団であれ、国家であれそこに主体を持ちます。ここで「正しい」とは何かを考えると主体によって「正しい」という基準は異なります。例えば、A君とB君がそこに正しさについて争点を持つとき、その争点について議論が交わされたとするとA君もB君も自分の主張を繰り出すと思われます。この時、議論の結末は次のようにいくつかに予想されます。
① お互いに自分が正しいと主張して決裂する。
② 一方がある理由で自分の正しさを取り下げて、相手の正しさを受け入れる。
③ 妥協点を見つけてお互いの正しさを分け合う。
個人対個人の場合このように議論の結末は、比較的単純なものになると思われますが、例えばA国とB国となった場合、どのようになるのでしょうか?筆者が思うに事の複雑さはさておき、同じように上記の①~③のいずれかになるのではないでしょうか?
さて、複数のAIが存在した時、彼らは①~③のどの結末を選択あるいは判断するのでしょうか?AI(A)とAI(B)の判断は必ず一致するという保証はあるのでしょうか?
価値観
人はそれぞれ価値観を持ちますが、AI(人工知能)が絶対的に正しい判断を下す時代が到来したとすると、個々人の持つ価値観はその絶対的なAI(人工知能)の正しい判断に屈することになるのでしょうか?これは受け入れがたい屈服ではないでしょうか?個々人の持つ価値観の全てが、反社会的あるいは異質でないと思うわけではありませんが、人類の歴史をみてみると、その異質さ言葉を変えると異才、あるいは天才と呼ばれる多くの人々の価値観が人類の歴史を作り上げてきた事実が存在します。
つまり、AI(人工知能)の絶対的に正しい判断は異才、天才を超えることになるのでしょうか?
もっと一般的なケースを考えるとA君に「あなたの価値観は間違っている。こうすべきだ」とAI(人工知能)の絶対的に正しい判断を告げられた時、A君はどのように対処するのでしょうか?
① 盲目的にAI(人工知能)を信じて受け入れる。
② 頑なにAI(人工知能)の絶対的に正しい判断を拒む。
③ AI(人工知能)の絶対的に正しい判断を参考にして自分の価値観を考え直す。
このような人の選択肢が存在するとき、AI(人工知能)の絶対的に正しい判断とはどのような存在になるのでしょうか?さらに上記のような人の選択肢を許さないAI(人工知能)の絶対的に正しい判断とは何者なのでしょうか?
膨大なデータ量と自己学習
AI(人工知能)の1つの能力として新規のデータを覚えながら蓄積した膨大なデータを解析してある結果を予測するものと筆者は解釈しています。
さて、膨大なデータ量とはどのくらい膨大なのでしょうか?
本ブログのタイトルの一部である巡回セールスマン問題より膨大なデータ量なのでしょうか?
AI(人工知能)が膨大なデータ量を人より速く処理できることは理解できますが、それによる予測の正しさはどれほどのものなのでしょうか?
そして、AI(人工知能)の能力の1つに自己学習というものがあります。筆者は、判断能力すらも学習するものと認識しています。これは不可能ではないと思いますし、信じてもいますが、人が判断を下すときには基準を必要とします。自己学習する過程あるいは結果でAI(人工知能)はこの基準をどのように打ち立てていくのでしょうか?
AI(人工知能)が人を超えるためには
① 「正しさ」の定義の確立
② 多様な価値観の理解
③ 基準の持ち方の確立
最低でも上記3つの条件が揃わなければ、AI(人工知能)は人を超えることはできないと筆者は考えます。
いつの日かAI(人工知能)に「あなたは有罪です。死刑に処する」といわれたら受け入れがたいですね。